HOME  >   フォーラム  >   第43回新現役宣言フォーラム「池上彰氏を迎えて」

第43回新現役宣言フォーラム「池上彰氏を迎えて」

 

世界地図からみた<世界>
池上彰氏(ジャーナリスト)

 

ゲスト:池上彰氏(ジャーナリスト)
ホスト:加藤タキ(新現役ネット副理事長)

加 藤 新現役ネット会員の皆様こんばんは。2004年から副理事長を務めております加藤タキと申します。本日はよろしくお願い申し上げます。私は2001年に新現役ネットの会員になりまして、以来、時間があるかぎり皆様と一緒にフォーラムに参加し、学ばせていただいております。いつもでしたらまず最初に理事長から、政情のことなどいろいろなお話があるのですが、私にはとてもそういうお話はできません。それより、一分でも多く、今日来てくださった池上彰さんのお話を皆様に聞いていただきたいと思っております。さっそくバトンタッチをいたしましょう。池上さんよろしくお願いいたします。

池 上 みなさんこんばんは。私は世界各地に行っては、その国で出ている世界地図を買うという安上がりな趣味を持っているんですけれども、今日はみなさんにその地図の一部をご覧いただきながら、世界情勢・国際情勢を考えようと思います。難しい言葉で言うと、地政学ということですが、それを地図で見てみようということです。小さい地図ですので一番前の方にも見えないと思いますが、ざっくりとどういう概念なのかというところをわかっていただければと思います。
 まず世界地図を頭に思い浮かべてください。思い浮かべるのは、おそらく日本が真ん中にある世界地図ですよね。日本で売られている一般的な地図です。こういう世界地図を見ている人というのは世界にはあんまりいないんですね。他の国の人たちはどんな地図を見ているのか、これから見ていくことにしましょう。
●イギリス
 当たり前ですが、イギリスで売られている世界地図はヨーロッパが中心となっています。日本が東の外れにありますね。日本あたりのことを「極東」と言いますが、極端に東、ファーイーストという意味は、実はイギリス中心のものの見方だったんです。ただの東、イーストはというと、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカのあたりになります。イギリスの人は東というと、かつてイギリスの植民地だったそのあたりをイメージするんですね。ここが基準となり、中くらい東は中東、インドより東は極東となるわけです。国際情勢はイギリス中心のものの見方で語られるということを、ぜひ覚えておいてください。
●イラン
 イランとイラク、一文字違いなのでつい間違えてしまいがちですが、両国には大きな違いがあります。イランは治安も安定していますし、大変な親日国家です。イラクというのはチグリス川とユーフラテス川に挟まれた「二つの川の間」という意味で、民族的にアラブ人が多い地域ですが、それに対してイランには、ペルシャ人が住んでいます。ペルシャ人は、自分たちは「アーリア人の子孫である」ということに大変な誇りをもっています。ドイツ人やインド人も、もとはアーリア人です。アラブ世界の人たちは、黒い髪に黒い瞳の人が多いんですが、イランの人たちは、金髪で青い瞳をした人が多いんです。自分たちがアーリア人の子孫であることに誇りを感じているために、アーリア人の国という意味で、アーリアン…「イラン」と自分たちの国を呼んでいます。
 イランの世界地図にはイスラエルは存在しません。イスラエルのあたりを見ますと「パレスチン」と書いてあります。パレスチナという意味ですね。イランはイスラエルと敵対しているわけですが、ここにユダヤ人の国家ができて、イスラエルという国ができたことで、大勢のイスラム教徒が難民になった、これは許せないというのが、これまでのイランの方針です。ですので地図上にもイスラエルは存在しない、認めていないわけです。

●ヨルダン
 ヨルダンはアラブ世界の中でもイスラエルと国交を結んでいる数少ない国です。というのも、これまでの中東戦争でヨルダンは何度もイスラエルに負けています。国の安全を守るためには、イスラエルとの関係を良くせざるを得ないので、平和条約を結んでイスラエルを国家として承認しているんですね。その一方で、イスラエルという国ができたことによって、そこに住んでいた大勢のパレスチナ人がヨルダンに逃げ込んでいます。ヨルダンの国民の多くはもともとパレスチナに住んでいた人たち、あるいはその子孫になります。いまのヨルダン国王妃もパレスチナ出身です。これ、ヨルダンの地図会社としては、非常に困ったことになりますよね。国家としてはイスラエルを承認している。だから地図にはイスラエルと書くべきなんですが、その一方で地図を買い求める国民の多くは「イスラエルなんかじゃない、あそこはパレスチナだ」と思っているわけです。ヨルダンの地図会社、表記をどうしたと思いますか? この地図を見てみると、色は塗ってあるものの、国の名前が書いてません。地図会社の社員の苦労がなんとなくわかりますよね。
 お隣のアラブ首長国連邦の地図には、イランに隣接しているペルシャ湾が、アラビアンガルフ、「アラビア湾」と書いてあります。海の呼び名に関しては、世界のいろんなところに対立がありますが、ここもそのうちのひとつです。私たちはこの海をペルシャ湾と習いましたが、この言い方、アラブの人たちは嫌がります。まるでペルシャ人の海、イランの海みたいじゃないかというんですね。こういう対立があると、困るのはヨーロッパの新聞です。ペルシャ湾と書くとアラブ世界からは怒られますが、アラビア湾と書くとイランから怒られます。で、どうしているのか。欧米の新聞を見てみますと、この海は「ザ・ガルフ」と書いてあります。「その湾」という意味ですね。中東情勢について書いているんだから「その湾」と言えばわかるだろうということで、固有名詞を出さないという工夫をしています。

●台湾
 この台湾の地図には、「中華民国全図」と書いてあります。中華民国というのは台湾のことですが、この地図では中華人民共和国やモンゴルのあたりまでも含めて大陸の広い範囲が中華民国ということになっています。もともと蒋介石が総統になって中国大陸にできた中華民国ですが、当時はモンゴルもその一部でした。やがて蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる中国共産党の国境内戦が起こり、蒋介石が台湾に逃げて行きます。大陸には中華人民共和国ができ、その後モンゴルが独立しました。ですが、台湾に逃げ込んだ国民党は、いずれ大陸を取り戻すつもりで「ここは全部中華民国なんだぞ」と言い張っていた。そういう時代の地図なわけです。今から十数年ほど前まで、台湾ではこの地図しか使うことが許されなかったんですよ。でもこれ、内容的にはフィクションですよね。現在モンゴルは完全な独立国ですし、中華民国の領土は大陸にはありません。十数年前にようやく台湾でもモンゴルを独立国として認めようということになったんですが、それまではモンゴルは中華民国の一部だという建前がありましたから、モンゴル人が台湾に行こうとしても、パスポートが使えませんでした。建前としては国内の移動となるので、入境証というものを発行していたんです。しかしもう事実を認めようということになり、地図も変更されました。新しい地図ではモンゴルは独立国となってますが、ここでもやっぱり地図会社の人は悩んだんでしょうね。中華民国の地図なんですけれども、大陸にあるのは「中華人民共和国」です。建前的にはまだその部分まで中華民国と言いたいところなんですが、そう書いてしまうとこれもフィクションとなってしまいます。そこで地図会社の人、思いついたんですね、いい書き方を。それは中華民国も中華人民共和国も、略せば「中国」となるということでした。ですので新しい地図には「中国全図」と書いてあるわけです。

●中華人民共和国
 中華人民共和国の地図にも、中華民国などという表記はどこにもありません。台湾のあたりにはわざわざ「台湾島」と書かれていて、中華人民共和国と同じ色で塗ってあります。この地図からは、「中華民国などというのは存在しない」という中華人民共和国の姿勢がわかります。では中国の地図で、北方領土はどこの国の色に塗ってあるでしょう? 日本の領土である北方領土を現在ロシアが占領しているわけですが、そのあたりを中国の地図で見てみますと、意外なことに、日本の色に塗ってあるんです。反日意識の強い中国なのに、ちょっと不思議ですよね。少し歴史をさかのぼりますと、東西冷戦時代、中国が核開発を成功させたことに脅威を感じたソ連は、こっそりとアメリカに「今のうち一緒に中国の核施設を破壊しないか」と呼びかけます。冷戦の当事国同士にもかかわらずですよ。アメリカはその話には乗らず、ソ連からのその呼びかけをニューヨークタイムスにリークしました。中ソの仲が悪くなる方がアメリカにとっては都合がいいですからね。そういうわけで、中国とソ連は対立を深めました。ここで話は戻りますが、なぜ北方領土が日本の色なのか? 世界情勢を理解するキーワードを覚えておいてください、「敵の敵は味方」ということなんです。中国は1972年に日本との関係を深めましたが、これは北方領土の問題でソ連と対立している日本を味方にしておいた方がいいと判断したからです。ちなみに数年前までロシアの連邦議会の売店に置いてあった地球儀は中国製だったんですけれども、南クリル諸島、つまり北方領土が日本の色に塗ってありまして、それが発覚した時にはちょっとした騒ぎになりました。

●韓国
 韓国の地図には、日本海という表記はありません。海の呼称の問題はここにもあります。韓国の人から見ると、朝鮮半島は日本の植民支配から独立したのに、海の呼称が「日本海」というのはけしからん、ということなんですね。韓国では日本海のことを「東海」と呼んでいるのですが、これは文字通り韓国から見て東にある海だということで、韓国は今、この呼称を使うよう世界各国の地図会社に呼びかけています。このため最近では「シー・オブ・ジャパン」と「イースト・シー」と併記する地図会社も増えてきました。しかし韓国からは東であっても、他の国や地域から見れば違いますし、国際的な表記に方角を持ち込むというのはちょっと無理がありますよね。私たちが「東シナ海」と呼んでいる海のことを、中国の人たちが「東海」と呼んでいることもありますので、正式な国際的呼称にはならないのではないかと思います。

●北朝鮮
 韓国の地図を見たんですから、北朝鮮の地図も見てみたいですよね。これは大変貴重で、そう簡単には手に入らないものです。朝鮮半島の首都はどこでしょう。北朝鮮が平壌で、韓国がソウルに決まってるだろうと思うかもしれませんが、この地図では朝鮮半島はひとつ、首都は平壌だけとなっています。実は先ほど見た韓国の地図では、逆に首都はソウルだけとなっています。他の国の地図と同様に、さまざまな国を色で塗り分けていますが、日本とアメリカに色はついていません。国家として認めてないという姿勢なんですね。日本は大人ですから、国交を結んでいない国であっても、北朝鮮という国があるということは認めて地図に表記してますけれども、ジャーナリスト的な目でこの北朝鮮の地図をウラ読みしますと、「国として認めてないぞ」ということをわざわざこんな形でアピールするということは、日本やアメリカと国交を結びたいんだろうな、ということが透けて見えるような気がします。

※このほかフランス、アルゼンチン、アメリカ、オーストラリアなどの地図についても楽しく解説していただきました。

池 上 世界を旅していると、日本人でよかったと思うことがいろいろとあります。例えばアフリカの多くの国では、日本人は愛されてるんですよ。日本製の電化製品や中古車などが非常に質が高く壊れにくいために、日本を良く思う人が多いんですね。日本語表記というものが品質のステイタスにもなっていて、ウガンダでは黒人がびっしりと乗ったバスの横に「しらゆり幼稚園」なんて書いてあって驚きました。日本の幼稚園の送迎バスが海を渡り、中古車として使われているんですね。
 こうして世界地図からさまざまな国の姿勢や考え方を見てきましたが、私が思うのは、私たちは事実に対してもっと謙虚な気持ちになるべきではないかということです。TPP交渉の際、風評被害をなくそうと、世界各国の人々に福島で作ったお酒を配ったということがありました。しかしイスラム圏の人達は宗教上の理由でお酒を飲むことができませんから、当惑されたんですよ、やっぱり。それぞれの国の内在的論理を理解しないと、その国の人々のプライドを傷つけてしまうこともあるということですよね。2020年には東京でオリンピックが開催されます。世界各国の人々がやって来る中で、相手の立場を思いやって認め合うこと、それが「オ・モ・テ・ナ・シ」につながるのではないでしょうか。日本人は、国際的な交渉事が苦手だと言われていますが、こちらの立場だけを一方的に主張するのではなく、「相手国の主張は理解しリスペクトした上で、こちらの立場を主張する」という姿勢が、これからの日本人がとるべき姿勢ではないかと私は思います。