HOME  >   フォーラム  >   第47回新現役宣言フォーラム =三浦雄一郎氏をお迎えして=

第47回新現役宣言フォーラム =三浦雄一郎氏をお迎えして=

 

攻める健康法~さらなる高みを目指して
三浦雄一郎氏(プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長)

 

第47回 新現役宣言フォーラム
テーマ「攻める健康法/さらなる高みを目指して」

◆ゲスト
 三浦雄一郎 氏 〈プロスキーヤー・
 クラーク記念国際高等学校校長〉
◆ホスト
 福岡政行 新現役ネット理事長

●開催日 2015年11月25日(水)
●開催場所 東京証券会館ホール
         ※このフォーラムに関する文責は編集部にあります。


●50年前の夢、エベレスト登頂
 僕は70歳、75歳、80歳と、エベレストに3回登りました。どの回もやっとの思いで、短い足を右左と一歩ずつ進めながら、なんとか頂上まで登ることができました。年齢的には1回登ればもう十分だと自分でも思っていたのですが、「人間はどれくらいまで年齢的・体力的な限界に挑戦できるのか」という好奇心があり、それをエベレストで試してみたいと思ってチャレンジしました。
 今から60年以上前の1953年、ヒラリーとテンジンが人類史上初めてのエベレスト登頂に成功しました。僕はその頃、北海道大学で学校をサボって大雪山でスキーをしていたんですが、そのニュースを聞いて、「オレもいつかエベレストに登ってみよう」と思いました。当時は歩いて月に行くような話だと思われていましたが、人生というのはわからないものです。それから50年後の70歳でその夢を叶え、75歳、80歳とチャレンジを続けられるとは、その時は想像もしませんでした。

●不健康からの大きな決意
 僕が肉をたくさん食べることはけっこう知られているようでして、先日大阪で町を歩いていたら、おばちゃんに「あの人、肉を1キロ食べる人よ」なんて言われてしまいましたが、つい先日も肉を800グラム食べたところです。
 60代の頃も肉をたくさん食べ、ビールをたくさん飲みという生活をしていたのですが、その結果体重が増えて、いわゆるメタボになってしまいました。そのうえ、ある日背中が痛くなり、心臓が何かにつかまれるような痛みを感じました。狭心症の発作でした。血圧も高く、他にも悪いところはあるだろうと思っていたのですが、なんとなくこんな健康状態を知られるのが恥ずかしい気がして病院を避けていました。しかしある時、知り合いの先生についに検査を受けさせられました。もちろん体は悪いところだらけで、糖尿病はこの状態なら、あと3年生きられたらいい方だと言われました。
 さすがにこれはまずいので、まずは普通の60代の健康体になろうと決心したんですが、この先の人生を考えた時、どうせなら面白いことをやってみたいと思い、そこで「究極の体力」が要求される、エベレストに登るための体を作ろうと考えたわけです。

●99歳でモンブランを滑った父の存在
 僕の親父は99歳にして、スキーでヨーロッパアルプスのモンブランの氷河を滑ったんですが、90歳からのトレーニングで3回も骨折しています。普通は90歳を超えてスキーをやって骨折なんかしたら、家族がやめさせるものですが、我が家は誰もやめさせようとしないんです(笑)
 親父は骨折を治せば大好きなスキーができる、治ればモンブランを滑ることができるという一心で、独自にトレーニングを始めました。入院後一週間くらいで机につかまりながら屈伸運動を始め、病院に鉄アレイを持ち込んで腕を回したりしていました。人間の精神力というのはすごいものですね。
 そしてついに99歳のチャレンジ。子・孫・曾孫がみんなでサポートして実現させたチャレンジだったわけですが、この話は現地のフランスでもニュースとして大きく取り上げられました。
 こういう父親がいたものですから、自分も60代くらいで負けてられないと思い、「親父がモンブランならオレはエベレストだ」と目標を立て、そこから体づくりを開始しました。
 トレーニングの第一歩は、札幌の家のそばにある500メートルの山でした。幼稚園の子たちが遠足で登るような緩やかな山です。しかし15分くらいで心臓がバクバク。脂汗が出てきて足もつりそうでした。エベレストまでの道のりは遠く感じられましたが、僕の人生のモットーは「なんとかなるだろう」という単純なものなので、あまり悲観せずトレーニングを続けました。
 健康を維持するのが「守る健康法」だとすると、それだけではメタボを治すのも長くかかりそうですし、ましてやエベレストを登る体力などはつけられません。そこで自分なりの「攻める健康法」を考えてみました。
 まず手始めに足首にオモリをつけて歩いてみることにしました。1年目は片足に1キロずつオモリを入れて、背中に10キロのオモリを入れたザックを背負って歩きました。散歩の際にこれをつけて歩きます。2年目からは片足3キロずつ、3年目は片足5キロ、背中に20キロという感じで徐々に増やしていき、最終的には片足10キロ、背中に30キロを身につけて歩くようにしました。氷の壁や断崖絶壁を登る時のイメージが、ちょうどそれくらいの重さなんですね。健康状態は完全には良くはなりませんでしたが、徐々に改善していき、そしてエベレストに登る筋力も身につけることができました。
 そういうトレーニングの結果として、70歳のボロボロの体でもなんとかエベレスト登頂に成功したわけですが、帰国後、今度は不整脈が悪化してしまいました。意識を失うことがあるほどで、どの病院で見てもらっても、もうエベレストどころか、高尾山に登るのもやめた方がいいと言われます。しかし家坂先生という不整脈の名医のところで二度の手術を受け、成功。75歳で二度目の登頂に挑むことができました。
 帰国後、スキーの際に、ジャンプの着地に失敗して、今度は左の大腿骨と腰の骨5カ所を骨折してしまいました。医者が手の施しようがないと言うほどの大けがでした。だいたい70歳を超えて大腿骨を骨折すると、14人のうち3人は寝たきりになったり、治っても歩行が不自由になるそうです。
 家内はこれで僕がエベレストを諦めると思ったみたいでしたが、僕の方はなんとか克服してやろうと思いました。ここからまた「攻めの健康法」です。
 病院の食事では骨がつかないと思い、シャケの頭と中骨を毎日食べることにしました。野菜をたっぷり入れて味噌味にして3食毎日食べていたら、2ヶ月後、ズレていた骨が正常な位置に戻ってくっつき始めているというんです。医者は「これは77歳の後期高齢者の回復具合じゃない、中学生か高校生のスピードだ」と、半分呆れながら言ってましたが、僕はあれはシャケのおかげだと思ってます。
 その後も心臓の再手術などを受け、それでもなんとか80歳でエベレストに登頂することができました。人間はいきなり大きな挑戦をするのは無理でも、小さな一歩から始めて諦めずに続けていけば、いつか夢は叶うものだと僕は信じています。

講演後は福岡理事長との対談および質疑応答が行われました。中東問題に関心を持つ人は多く、会場からはさまざまな質問が寄せられていました。